<左遷の品格>



(内容を構成中)


● あらすじ

〇 はじめに
 あなたがこのサイトをお読みになられているということは、きっと仕事で何かお悩みをもたれていらっしゃると思います。あるいは、知り合いの方に仕事でお悩みの方がいらっしゃるかと思います。

 このサイトではまず、皆様の有意義な左遷ライフをお楽しみ頂けるようにしていきたいと思います。私たちは皆さまの豊かな左遷ライフをしっかりとお支えするために様々な方法を提案していきたいと考えています。

 また、読者の皆様の中には「有意義な左遷ライフ」だけでなく、「かつてを上回る栄光を手にすること」をお望みの方もいらっしゃることと思います。様々なご事情におられる方のために、かつての栄光を取り戻していく仕事人生の再生術も紹介しています。


〇 左遷に陥る
 人は失脚や左遷によって自分の無力さを感じ、友好関係が崩れ、家庭崩壊に加え、他者からの失望の目などに悩まされることが多く、人生の大きな負担となることが多いことでしょう。左遷の原因は人によって様々な事情があり、能力の不足を指摘されたり、病が原因であったり、上司の失敗に巻き込まれたり、部下の失敗が原因のこともあるでしょう。ただ左遷は一言で片付けられるほど単純なものであることは少なく、様々な事情が複合的に重なり合った結果として左遷に至ることが多いのです。中には社内での壮絶ないじめに遭っていたり、周囲の無理解な言動や感情が露骨に影響し、左遷に追い込まれた人もいらっしゃるでしょう。

 失脚や左遷に至った際の心の中に抱かれる苦しみには、状況の差や個人差がございます。ただ、失脚や左遷には仕事に対して強い責任感を抱いていらっしゃる方の方が、より大きな苦しみを感じてしまうことが多いというとても理不尽なメカニズムを持っています。そのため、真面目に努力されている方や、強い思いをもって取り組んでおられる方ほど、深刻な事態に陥ってしまいやすいのです。

 このサイトでは、まず様々な事情によって起きる複雑な左遷の原理を読み解き、その基礎的メカニズムご理解いただきます。人が左遷に陥るメカニズムの全体像を捉えた後、先人たちの言葉から左遷に向き合う心構えを考えていきたいと思います。

 ただ、左遷を左遷として受け止めることもできるのですが、別流派として「この世に左遷など存在しない」と捉える考え方も紹介しております。ご自身のご事情に合わせてお読みいただけると思いますのでご安心ください。


〇 左遷のメカニズム
 左遷はあなた一人の問題が原因となって起きているわけではありません。多くの場合、社会の事情や会社の運営状況によって人事配置の許容範囲は変わってしまうものです。自分の左遷が周囲の人々の能力不足によって引き起こされてしまうことは常にあり、もともと極めて相対的なものであることが多いのです。

 人事担当者に人を評価する確かな目が備わっているとは限らないでしょう。人は見た目だけで全てが分からないものであり、人事担当者の評価が適切であるとは限りません。社内の数値による成績の評価方法がそもそも妥当でない場合も考えられます。人というものが生きていく本来の姿を考えれば、この世界は数字だけで分かるような世界ではありません。そもそも「どのように数値化するのか」や「どのように線引きして評価するのか」というその作業自体が人為的なものなのです。突き詰めていけば、そこに絶対的な何かを認めることは非常に困難であると言えるでしょう。


〇 そもそも仕事とは何か
 仕事は様々なものがあり、仕事というものを一概に定義することは不可能でしょう。しかし、この宇宙の地球という惑星に生きる生命体の姿と、人のつくる「社会」という共同体のあり様を捉えることで、自ずとその仕事というものの意義は浮き出てくると思われます。筆者の考える仕事のあり方について紹介したいと思います。

… この地球上にもともと仕事など存在しない。ではなぜ仕事があるのか。 …(つづく)




● サボりの流儀

  「サボりの流儀 ~仕事で死なないための哲学~」

【基本理念】  第一目標は仕事で死なないこと。

【信条】  サボることは生きること。生きてることがまず仕事。

【主張】  サボれ。逃れよ。ためらうな。君の命に価値がある。

【目標】  自殺しない国、日本

【三箇条】
・死なない。
・死なせない。
・死ななくていいようにする。

【合い言葉】  死ぬぐらいなら、まずサボれ。

【スローガン】  もともと地球上に仕事なんてものはない。原始時代を思い出せ。

【その他の主張】  生存維持の妥当性から導かれていない仕事は、人間が引き受けるべき仕事ではない。
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サボロ―とぼく


【メッセージ】
大丈夫。
サボるにも流儀がある。
降格にも哲学がある。
失脚にも美学がある。
左遷にも品格がある。
退職にも倫理がある。
無職にも仁義がある。
ニートにも心得がある。
この世には、仕事以外にも極めるべき道がある。
この道の先人の思想に触れることで、きっとこの世界のより広い視野を得ることができるだろう。


● 降格の哲学
・降格のパターン
・「かっこいい降格」の進め方。
・そもそも「格」とは何か。何が「降」しているというのか。
・降格後の人生設計の進め方
・降格を恐れない視野と理解で仕事をする力
・人は上か下かで見てしまうものである。でもそれは物事の全体像が見えていない者の見方なのである。もし全体像が見えているならば、上か下かではなく、何をすれば最も良い結果を生むかが分かるはずである。しかし全体像はなかなか見えないものである。その捉えきれない世界の全体像と戦いながら降格に耐えうる理解を手に入れることが降格の哲学である。


● 失脚の美学
・かっこいい失脚。ダサい失脚。
・未来に繋がる失脚。未来を失う失脚。
・上とか下とかでしか物事を見ていない者から飛んでくる見えない意識との闘いに耐えうる理解を手に入れる。
・失脚に見られる人々の守ろうとする価値観を分析する。
・失脚が怖いのではなく、失脚後の生活に慣れていないから怖いのではないか。
・自分が生きるために根本的に失いたくないものが何か分かると、積極的に失脚を受け入れられるかも。
・失脚を利用した社会貢献の美学を紹介しよう。
・失脚は使いようだ。
・失脚は手段として利用するものである。
・「積極的失脚主義」という貢献的なハイレベル失脚術がある。
・努力を重ねてもなお失脚するに至った場合、現在進行形で失脚の過程を辿る者にしかできない社会貢献の道がある。これを「貢献的失脚術」と呼ぶ。
・失脚という演出。
・組織の闇を引き受ける最終調整者としての役割。
・先人たちの壮絶な失脚劇から生き方を学ぶ。
・先人の言葉 「失脚とか、それも含めて仕事だろ。」
・失脚は慣れるものである。一度目が一番苦しい。三度ほど経験すれば大したことはない。基本的には安心せよ。失脚界にも上には上がいる。
・失脚はよいのであるが、失脚に追い込んだ勢力に正当性がなく、気に入らない場合、精神的に堪えられない場合、何とか正義を果たしたい場合にどうするか。
・理不尽の背負い方。理不尽のなくし方。確立された合法的な報復技術の活用。社会正義を果たす仕事にシフトする。
・周りの傲りか、自分の傲りか。
・仕事を与えられなくなることが失脚というのではないか。ならば仕事をつくるのだ。そうすれば仕事を失う失脚とはならない。同レベルの仕事を自分でつくり出せるならば、失脚などするはずがない。
・失脚者に開かれている新しい視野と希望。
・失脚とはいったい何だったのか。


● 左遷の品格
・〔左遷を感じる人、感じない人。〕
左遷を感じる人であるか感じない人であるかに良い悪いはないでしょう。ただ左遷を強く感じる人の方が「より良い仕事をしよう」という貢献的な職務が強く、人々の心理も敏感に感じ取ることのできる人であるかもしれません。そのため、左遷を感じる人がいることは確かでしょう。
・左遷とみなす人、左遷を知らない人。
・そもそも左遷とか関係ない人。
・自分は左遷を悪いと思っていないのに、周囲からの左遷された人とレッテルを貼る視線に嫌気がさす場合。
・左遷はそこにはない。左遷は人の心の中にある。


● 退職の倫理
・「勝ちに行くリストラ」
・経営者は社員に対して「退職」というものに負のイメージを持たせることで、組織内での社員の生産性を上げ、営業効率を高めようとしている側面がある。その組織を支配する退職に対する負のイメージは、経営者によってつくられた社員から労働力を引き出すための一つの戦略なのだ。組織の生産性を向上させることが、基本的には経営者の立場に求められている社会貢献であるために、そのような圧力を加えてしまうことが多いのだ。ただそれが社員の生活を犠牲にするほどであっては、企業組織に本来的に求められた社会貢献の目的を十分に達成しているとは言えないだろう。そんな組織環境をつくっているならば、その経営者も大した人間ではない。経営者にも盲点があるものだ。経営者の都合など気にすることはない。積極的に退職しよう。


● 無職の仁義
・無職の道は、社会秩序を乱すことのないように慎重かつ丁寧に遂行する義務を負う。そのための確立されたルールやマナーが存在する。
・無職の者には引き受けるべき役割がある。
・無職にも社会構成員としてなすべき仕事がある。
・無職の作法
・無職の道徳
・無職の理念
・無職は肩書というより、「手段」である。無職という手段を生かせ。
・無職者の戦術
 →実は有職者に劣らない合理的で科学的な無職の闘いがある。その洗練された戦術を紹介する。
 →無職者の敵を知る
「無理解者との闘い ~無職者の背負いやすい偏見との心理戦~」
 →無職の兵法
 →無職の戦略
 →無職の消耗戦に耐える
 →無職時の総力戦はいかなるものか
・有職者になるとき
 →有職になることに優越感をもつなど、驕るようなことがないようにしなくてはならない。有職者が無職者よりも優越しているとして見ることは、他の無職の人の心理を犠牲にして成り立つ考え方である。それは無職の道を正しく極めた者の考え方ではない。無職も有職も、本来的に何も違いがないことに深い理解を持つ必要があるはずだ。無職も有職も、同じ社会を共有しながら各々が最も良い選択をした中に存在しているのである。そこにもともと優劣などないはずだ。


● ニートの心得
・君はきっと充電中。




● さいごに
 自分が地球上の生命の大河の中にある人間社会のどこにどのような意志を持って存在しているのかを把握したならば、もはやこの世に降格・左遷・失脚・無職など存在しないのだ。降格・左遷・失脚・無職とは組織内の相対的な視野の中に起きる優劣の現象である。宇宙と人間社会を包括したより広く大きな視野を持ったならば、そんな優劣などもともとこの世に存在しないことに気づくことができるだろう。
 確かに会社組織の階層秩序を拠り所として相対的な視野の中を生きている者からの痛い視線を感じることがあるかもしれない。しかし宇宙と生命体を結びつける万物のエネルギー秩序という不動の基盤に根差した視野を身に付けたならば、社会の包括者は私たちであるとの確信に至ることができるだろう。