<土下座の要点>


【はじめに】

 こちらのサイトをご訪問いただいたあなたは、職務ミスで責任を取る際の現代的な最終地点(以前の時代には切腹とかもあった)を弁えることで、仕事に対して責任を取ることのできる確かな実力を身につけることができるようになるでしょう。実際に土下座謝罪まで至ることは人生でも多くはないでしょう。しかし、正しい土下座謝罪の精神を身に付けることで、裏打ちのある責任感と高い職務パフォーマンスを生み出す力となり、あなたの大きな財産となることでしょう。

 謝罪の世界にも先人たちのつくり出してきた広い世界が広がっています。普通の人は知らなくてもいい世界かもしれませんが、割と広い世界が広がっています。過度な期待には応えられませんが、私たちは危機的な状況下のあなたをお支えできるよう極力努めていきたいと思います。


【土下座とは】
 土下座は現代的な謝罪の最終形態です。しかし、それまでにどのような謝罪の段階があるのか知っておきましょう。土下座謝罪の相応しい状況とはどのような状態か考えていきましょう。

 土下座は軽々しく使うものではありません。土下座すれば済むというものでもはありません。土下座は問題を解決する万能法というわけではまったくありません。土下座に多くを期待してはいけません。土下座に対する冷静で現実的な理解を会得しましょう。


【土下座前】
 土下座は準備期間が必要です。一般的に何の準備もせずに土下座することはありません。そのため、事前準備の段階から土下座は始まっているのだと心得ましょう。一般的には、自分の仕事や努めるべきものとは何なのかということへの理解を深めて準備することが多いと思います。

 確かな土下座は、土下座に至るまでの十分な準備の積み重ねによって初めて魂が込められたものとなります。緊急性が求められる場合以外は、基本的に土下座はしっかりとした理解と心構え、自覚や覚悟の上に到達する謝罪形態です。その精神的達成度が至らないまま土下座をしても、単なるパフォーマンスと見なされ、軽々しい印象を与えます。また、一般に相手方との間にある心的な緊張関係に合わせて行われるものです。そのような関係性が明確でない相手に対して土下座をしても、相手方に困惑を与えてしまいます。相手方が不審な目で見ることになってご迷惑をおかけすることのないように、正しいステップを踏んでいくことが大切です。

<土下座の前に覚悟するべきリスト>
 土下座に至る事態には、その後の様々なリスクが想定されます。相手方の動きによっても、その後の私たちの境遇には様々なリスクが存在します。それらをあらかじめ想定しておくことが土下座をする者に求められるマナーです。また、保身のために土下座を行うというような軽率な姿勢はふさわしくないでしょう。中途半端な覚悟で土下座のような謝罪を始めた場合、相手方から今後の覚悟を問われたときにボロが出てしまうことになるでしょう。謝罪の最終形態である土下座には、自身に降りかかるリスクを十分に想定し、その負担や重圧に耐える意志、覚悟、精神的な達成度が求められます。そのため、あらかじめ様々なリスクを想定しておきましょう。

>友達を失う
>社内いじめに遭う
>干される
>減給
>懲戒
>免職
>失職
>家族を失う
>社会的制裁を受ける
>刑事事件となる事柄であれば逮捕される
など


【土下座パターン】
 土下座には、前提となるステップがあります。突然の土下座は相手に混乱を与え、場によっては周囲からの目線も痛々しい可能性があります。適切な意味ある土下座を実現するために、土下座前のステップに十分な注意を払いましょう。

 土下座する場合は、相手方に「何について土下座しているのか」をあらかじめ明確に伝えることが大切です。適度に詳細を述べた後の謝罪でないと、後々何に謝罪したのか、自分と相手方との間に見解の違いが生まれ、争点がよく分からなくなって後々気まずい思いをする可能性があるかもしれません。もともと謝罪は気まずいものでありますが、相手にご不快な思いを繰り返させてしまうことになっては問題です。意志疎通のミスによって相手方にご負担を残したり、お怒りを再熱させてしまうような事態にならないように事前に整理して調整していくことが望ましいでしょう。

 しかし、そのような時間がない場合や相手方のお怒りがそれを許さない場合、争点が一切なく全面的に非を認めて謝罪をする場合、他の事情やタイミングなどによってはこのような事前の説明は省略されることがあります。

〇 一般的なパターン
 相手方に謝罪内容の説明を尽くしてから土下座をして謝罪の意思を伝える場合。
  謝罪内容の説明 → 土下座 → 今後について

〇 比較的対応の緊急性が求められる場合
 土下座によって謝罪の意思を明確にしてから相手方に説明を尽くしていく場合。
  土下座 → 謝罪内容の説明 → 今後について

〇 その他のパターン
 謝罪のパターンにある程度の型はありますが、型に沿って行うことが必ずしも最善解を導くという性質のものではないでしょう。状況や相手方に合わせて礼儀を尽くし、様々なパターンを組み合わせたり、また繰り返したりすることによって謝罪の意志を明確に伝えていくことが求められるでしょう。

組み合わせの例
  礼 → 謝罪の言葉 → 土下座 → 今後について → 礼
  土下座 → 謝罪の言葉 → 質問応答 → 今後について → 礼


【土下座フォーム】
 土下座に相応しい服装やスーツを選びましょう。土下座以前に身なりを整えるのが基礎的なマナーです。謝罪の意図を示すためにも、華美な服装は避けましょう。相手方にご不快な思いを抱かせてしまうことのないように整えていくことが基本です。浮ついた気持ちが現れてしまうような身なりは相応しくありません。気まずい空気に極力堪えうる華美でない適切なものが求められます。相手方のご自宅などにお邪魔する場合は、できるだけきれいな靴下を履いていくことなどももしかしたら大切かもしれません。

 土下座に至る場合、相手方にとって土下座に相応しい場であるのか考えましょう。周囲からの目があるような場で土下座する場合、相手方がそれを快く思うかどうかに十分注意を払いましょう。玄関先などで土下座させていただく場合を想定しておきましょう。室内に上がる際など、畳の縁(へり)を踏まないなどの基礎的なマナーにも注意を払いましょう。室内でスペースが限られており、土下座スペースを思うように確保できない場合も想定しておきましょう。座布団を用意されていても、土下座の際は座布団から降りましょう。

 土下座に相応しい相手方との距離感を考えます。あまりに遠距離では謝罪者の心情が正しく伝わらないでしょう。また、あまりに近すぎると生理的に受け付けず、相手方に不快な思いを与えてしまいます。謝罪の意図を正しく伝えるためには、人と人が話す際の一般的な会話の距離感を基本としながら適切な間合いを調整していくとよいのではないでしょうか。

<土下座の模範姿勢>
>足の正しいフォーム
>手を地面につく位置
>手の形はどれが良いのか
>頭の正しい位置
>背中の姿勢
>複数人による土下座の場合
>だらしない土下座の例

 土下座は形だけでは意味がありません。謝罪の精神と土下座の形が見事にシンクロしている際に本来の意図を発揮します。しかし、土下座に過度な美しさやキレを求めてはいけません。結局土下座は気持ちの現れであり、その形にこだわりすぎると本質を見失う可能性があります。ドラマや映画などではキレのある美しい土下座フォームが演出されますが、それは物語の展開を視聴者に分かりやすく伝えるためにつくり出された架空の世界です。現実の土下座では、利害関係が極めて露骨に現れる極限の場面です。そのため、謝罪の気持ちやその意図を伝えることが最優先となります。精度の高い現実感覚が求められていることを忘れてはなりません。

 先人の言葉 「土下座はそこにはない。土下座は心の中にある。」


【土下座の精神】
 土下座に勝ち負けはありません。土下座に偏差値もありません。土下座に気持ちのいい終わり方はまずありません。相手方にとって深刻な事態であることに対する深い理解が大切です。土下座は相手方のご機嫌をとるためにするという程度のものではありません。相手方の気持ちをなだめるために作戦としてやるものではありません。そこでは本物の土下座を弁えているかどうかが問われているのです。土下座したから許されるとの甘い認識は改めましょう。

 相手の人生を考えることができているでしょうか。相手方のお気持ちこそがすべてであります。相手方のお気持ちに堪えうるだけの覚悟をもって謝罪を尽くしていく心構えが必要です。しかし、事態があまりに深刻であり、相手方のお気持ちに堪えうるだけの覚悟を十分に形成できていない場合であっても、謝罪しなくていいということにはなりません。堪えられずに取り乱すことは当然にあると思って謝罪に向かうことも必要です。

 相手に不快な思いを抱かせる土下座ではいけません。事態に応じて土下座にも多少の重さの違いがあります。ただ、相手方のお気持ちの重さに合わせて謝罪をしていく姿勢が大切です。こちら側が問題の重さを勝手に決めていいものではありません。

 土下座しても責任から逃れられるわけではありません。今後もなお引き受けていくべきものとは何なのか、その自覚が求められます。土下座は謝罪とその後の責任を背負う姿勢を相手方に示す始まりに過ぎません。土下座ですべてが終わらせられるというものではありませんのでご注意ください。

 先人の言葉 「土下座は始まりに過ぎない。」

 土下座は人と人とのコミュニケーションの一側面でもあります。相手方とも今後何らかの形で同じ地球上で人間社会を共にしていくこととなります。その一つの意思伝達手段であるという広い視野も持っておくとよいでしょう。すると、今後のより良い関係づくりに繋がってくることもあるかもしれません。しかし、相手方のお気持ちは収まらないことは十分に想定されますので、過度な期待は控えましょう。


【土下座の注意事項】
 基本的に自分の土下座に酔ってはいけません。誠意を尽くすのは大切ですが、その姿勢が自己本位な納得感のために強引に行うようではかえって相手方に迷惑をかけてしまいます。おそらく一般に土下座は何度やっても慣れるものではないと思いますが、自分の思い詰めた感情に振り回されて行う投げやりな土下座はマナー違反でしょう。何かを求めたり、要求を突きつけるような土下座も好ましくありません。謝罪の姿勢を表すと共に、相手方のお気持ちを全面的にお引き受けしていく心構えが大切となると思います。


【土下座の疑問】
 海外で土下座は相手方に理解され、受け入れられるものなのでしょうか。

 土下座は特定の相手方に対して少人数で行われるイメージが強いですが、メディア等の集まる公共性の高い記者会見の場で土下座をすることはありなのでしょうか。

 一度土下座を始めた場合、顔を上げるタイミングが分からない場合があると思います。また、相手方から土下座をやめるように言われた時に引き下がっていいものなのでしょうか。その限度と間合いを探ります。


【土下座後】
 相手方からの暴言や脅し、いじめ、からかいを受けながら土下座をする場合もあると思います。相手方から通常の社会的な受任限度を越えるような言動があった際は、反論せずにその場から静かに退却してもよいかもしれません。

 相手方のお気持ちになるべく従う必要はありますが、公序良俗に反する内容を要求された場合は法律があなたを守ります。「死んでこい」などと言われても、相手のお気持ちを考えることは大切ですが、現実問題として従う必要はありません。この国の法秩序の中では、基本的に国家機関による刑罰以外にあなたの人権を奪うことはできません。相手方のお気持ちを最大限尊重することは大切ですが、私刑は許されません。公序良俗に反する要求を受け、たとえ相手方の圧力に押されて承諾してしまったとしても、法律上は無効です。ご安心ください。また、相手方から要求されても自傷行為は控えましょう。その必要はありません。


【帰宅】
 謝罪後にやってはいけないことがあります。あなたは今、心的に非常に不安定な状態にあります。大きな責任とその負担を感じ、将来への希望を失い、自己の生存に対する意欲が下がっている可能性があります。まず、不用意に線路や踏切に立ち寄らないように注意しましょう。帰りに電車に乗る際には、ホームから落ちることのないように十分に注意しましょう。謝罪の後にタクシーで帰るような少々リッチなことは相手方のお気持ちに配慮するためおすすめはしませんが、気持ちが不安定でホームに立つことに不安を覚えたり、周囲の人が不安を抱いたりする場合は積極的に利用しましょう。道路の幹線沿いも気をつけましょう。大型トラックやバスには特に注意しましょう。橋にも注意しましょう。海沿いも危険です。気持ちを整理するために出かけることは許されますが、極力親しい方に心配をかけないように場所等を報告し、安易に行方不明にならないようにしましょう。基本的に高いビルに出かけてはいけません。不安定な気持ちのまま不必要に街中をうろうろするのは控えましょう。散歩のできる少し広い公園程度がいいのではないでしょうか。ただ、公園に多くを期待するのもやめましょう。子供に迷惑をかけないため、また、地域住民の方にも不安を与えてしまうことのないようにするため、ブランコに座るのは極力控えましょう。謹慎処分中などの場合は、出かけることもなるべく控えましょう。

 その他の生命の危機を引き起こす行為は控えましょう。命を失うことで謝罪の意図を伝えることはできないと思います。つらいとは思いますが、生きながら謝罪を重ねていくことをお勧めしたいと思います。帰宅前に神社や寺などに立ち寄るのも良いかもしれません。何かの助けになることもあるかもしれません。いえ、ないかもしれません。

 あまり表には顔を出しませんが、この世界にはやはりこの道の先人がいるものです。きっとあなたの助けとなる人がどこかにいると思います。すぐに出会えるとは限りませんが、極力様々な助けを得られれるようにしていくことをお勧めいたします。筆者も、あなたが生きていかれることを望み、お支えしていきたいという気持ちです。

 謝罪の後はなるべくゆっくり休むようにしましょう。精神的な疲労感は、あなたが思っている以上に負担となっていることが多いと思います。休むことが許されないようなお立場の方もいらっしゃると思いますが、無理をしないように心掛けていくことが大切だと思います。


【さいごに】
 この要点集は絶対的なものではありません。一つの考え方として記載したものです。筆者にも盲点があります。他の様々な情報源に触れながら、より良い方法を考えていくとよいのではないかと思っております。

 これからの人生を、一緒に頑張っていきましょう。お読みいただきありがとうございました。